2010年01月08日

叱ると褒める

昨年11月中頃あるブログの記事にあり、丁度私も同じような事を考えていましたので、自分なりの叱ると褒めるに書いてみます。

まず、褒める
褒めると言う行動は、いい所を見つけて、その事を相手に伝える行為であると考えます。
褒める人と、褒められた人がいる訳ですが、褒めた内容が必ずしも相手が喜ぶとは限らない事もあると思います。
でも、ほとんどの場合、褒められてうれしくない人はいないでしょう。

叱るという行為は、悪いところを見つけて、その事を相手に伝える行為であると考えます。
問題は、その悪いところを気付かせることが目的であるのですが、いわゆる思春期に差し掛かった子供にとっては、実は気付いているけど、気付きたくない。とか、気付かさせられることそのものに嫌悪感を感じることもあるでしょう。

簡単に言えば、叱る事は愛情そのものなんですが、思春期の子供に響く言葉で伝えれれるかどうかが、最も難しく指導する立場としては、気をつけなければならないポイントでしょう。

そのように考えた時に、私が感じる大事なポイントと言うものは、信頼関係だと思うのです。
問題は、その信頼関係がどのような形で作り上げられるかどうかがポイントであり、信頼関係とは言葉ではなく、本音でどこまで付き合えるかと言う事ではなかろうかと思ってます。

押し付ける指導ではなく、会話する指導。

練習中のワンフレーズ指導では、会話する指導は成り立たないかもしれません。

グラブを下から出せ
腰を低く

これらの言葉では、指導とはいえません。単なる指摘です。

指導とは、指し示して導く。

指し示すとは、目的を示し
導くと言うことは、ヒントを与える

ということだと私は考えています。

目的を与えるのが、指導者の役目。
答えを見つけるのは、子供達。
いろんな答えにたどり着いて欲しい。

私はそう願って野球に取り組むようになってから、むやみやたらに指導しようとしなくなりました。
見守って、観察すること。
観察するのは、プレーではなく、子供達の精神状態。

今、この子はどういう思いで練習をしているのか?
ひょっとしたら、子供って、技術的な部分を褒めてあげるよりも、気持ちを汲み取ることが出来れば、その方が信頼関係が生まれるのではないか?

今は、そう考えています。

だれしも、思う気持ち。
それは、認めてもらいたい。見てもらいたい。
苦しい時、その事に気付いて欲しい。助けてもらいたい気持ち。
ではないかと、考えています。

初めて指導に携わった時、やはり、私も、己を出して己を伝えようとしてしまいました。
もちろん、それだけではなく、その当時なりに子供達を把握しようとしましたが、十分ではなかったと思います。
それでも、何人かは理解者が生まれ、その事で助けられてきた。

AYボーイズに入団する予定の新1年生の中に、初めて私が指導に携わった時の選手がいる。MR君だ。
先日、おせっかいながらも、型遅れながらも安価な82cmのバットを運よく発見したので提案し、購入に至った。

そのバットを振る姿を見て、また、楽しそうにスイングする姿を見て、約1年前に叱責した事がウソのように感じるぐらい、いい表情で練習しています。

やっと、自信を掴んだのだな。

1年前の叱責のあと、ほとんど指導することなく見守ってきましたが、彼の努力と彼の両親のサポートによる成果だと思います。

彼の成長を通じ、私も色々と成長することが出来たと思います。
彼もまだまだ、なら。私も、まだまだ、ですけどね。
posted by アンバサダー at 09:34| Comment(0) | TrackBack(0) | コーチング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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